バスケが大好きなのに、
食物アレルギーで思うようにプレーできないなんて…。
苦難を乗り越え、プロバスケ選手という夢を叶えた山本楓己選手を紹介します。
この記事を読むと、以下のメリットがあります。
- ハンディキャップを抱えながらも夢を追いかける勇気をもらえます。
- 諦めずに努力することの大切さを学べます。
- 周囲の人々の支えの大切さを実感できます。
- 山本選手の生き様に感動し、自分の人生を振り返るきっかけになります。
山本選手は、生まれながらに重い食物アレルギーを抱えていました。
小さい頃は、アレルギー発作で何度も命の危険にさらされ、バスケを諦めようと思ったこともありました。
しかし、周囲の人々の支えと自身の強い意志で、山本選手はアレルギーと向き合いながらバスケを続けました。
そして、大学卒業後、念願のプロバスケ選手となりました。
プロの舞台でも持ち前の明るさとガッツ溢れるプレーで存在感を発揮しています。
山本選手の生き様は、私たちに多くのことを教えてくれます。
ハンディキャップがあっても、夢を諦めずに努力すれば、必ず道は開けるということ!
周囲の人々に感謝し、支え合いながら生きていくことの大切さも教えてくれます。
もし、あなたも何か壁にぶつかって苦しんでいるなら、
ぜひこの記事を読んでみてください。
きっと、勇気と希望をもらえるはずです。
食物アレルギーという逆境を乗り越え、夢の舞台へ
小学校時代:才能開花と食物アレルギーとの闘い
小学1年生の時に兄の影響でバスケットボールを始め、すぐにその才能を開花させた山本選手
順調にバスケ道を歩んでいた彼に、試練が訪れます。
小学5年生の時に発症したのが、「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」という
重篤なアレルギー症状を引き起こす病気でした。特定の食品を摂取後に運動すると、
呼吸困難やアナフィラキシーショックを引き起こし、最悪の場合は命を落とす危険性もあるという、
まさに命に関わる病魔でした。
この病気が原因で、給食を食べることができず、常に弁当を持参する生活を余儀なくされました。
また、心無いクラスメイトから差別を受けたり、試合中に発作を起こして倒れたりと、
想像を絶する苦難を乗り越えなければなりませんでした。
いじめられた事もあったんですね
しかし、山本選手は決して諦めませんでした。
強い意志と周囲の支えを胸に、彼は夢に向かって突き進み続けます。
あきらめないことですね
中学・高校時代:支えられた挑戦とさらなる成長
中学校でもバスケ部に所属し、主将を務めた山本選手。しかし、病状の影響で思うようにプレーできず、
苦悩の日々が続きます。
そんな彼に手を差し伸べたのが、両親や中学の恩師たちでした。
彼らは山本選手の病状を理解し、彼に寄り添い、サポートし続けてくれました。
そして、彼らが見つけ出したのが、バスケの盛んな安城学園高校でした。
高校側は山本選手の病状に配慮したサポート体制を整備し、彼を温かく迎え入れてくれました。
全面サポートしてくれたんですね
高校3年間、山本選手は持ち前の努力と周囲の支えで大きく成長を遂げ、
主将としてチームをインターハイへと導きました。
大学・プロ時代:夢のBリーグの舞台へ
大学は特待生として名古屋学院大学に進学した山本選手。
東海大会優勝やインカレ連続出場など、輝かしい成績を残しました。
在学中に始めたSNS発信は、多くのファンを惹きつけ、山本選手の知名度を一気に高めました。
そして2023年秋、念願のプロバスケデビューを果たした山本選手は、
私もファンです
Bリーグ信州ブレイブウォリアーズで活躍を続けています。
持ち前のシュート力とスピードでチームを勝利に導き、多くのファンを魅了しています。
プロへの挑戦と2年間の無所属期間
大学卒業後、プロを目指した山本選手でしたが、
ケガなどの影響で2年間はチームに所属することができませんでした。
しかし、彼は決して諦めませんでした。
2022年
念願叶ってプロバスケットボールBリーグ1部の王者「琉球ゴールデンキングス」の練習生となりました。
信州ブレイブウォリアーズへの移籍と念願のプロデビュー
活躍の場を求めて、2023年7月に信州ブレイブウォリアーズへ移籍した山本選手。
ここでも練習生としてスタートでしたが、
契約してもらえるように死に物狂いで努力を続けました。
そしてついに、シーズンスタートの10月に選手登録。長年の夢だったプロデビューを果たしました。
支えられた苦難と喜び
「本気でプロを目指して苦しんだ3年間でしたが、プロになれたことで、僕がつらいときに一緒に泣いてくれた家族や、協力してくれた周りの方々が喜んでくれたことが何よりうれしかったです」
参照:ひとのわ、とよかわ
と、山本選手は喜びを語ります。
4. 食物アレルギーとの闘い
現在もショック状態になるのを防ぐ注射器(エピペン)は必携であり、
食べられるものにも制限があります。しかし、大人になって自己管理できるようになった山本選手は
「発症もなく、うまく付き合えています」
参照:ひとのわ、とよかわ
と前向きに語っています。
弱さを受け入れる強さ
「僕はバスケ選手としては身長も高くないですし、キャリアがあるわけでもない。ただ、こんな僕でも努力してプロになれたので、ハンディキャップを抱えた子どもたちに『僕にもできるかもしれない』と希望もってもらえるようなプレーと活動を続けていきます」
参照ひとのわ、とよかわ
と、山本選手は人生のテーマを語っています。
これからも自身の経験を活かして、
多くの人に勇気と希望を与え続けていくことでしょうね。
まとめ
生まれながらのアレルギーというハンディを乗り越え、プロバスケ選手という夢を叶えた山本楓己さん。
その強靭な意志と努力、そして周囲の人々からの支えが、彼の成功を支えてきたと言えるでしょう。
このブログ記事で、
山本楓己さんの生き様を知り、ハンディキャップを持つ人々に勇気と希望を与えることができれば幸いです。